歴史と沿革

歴史と沿革

日本医科大学は、1876年に長谷川泰により創設された済生学舎を前身とし、創立140年を超えるわが国最古の私立医科大学です。本学の源流である済生学舎は、明治維新から間もない明治9年(1876年)、医師の早期育成を目的として設立されました。近代国家として歩みを始めた当時の日本において、西洋医学に基づいた開業医の育成は最重要課題の一つであったのです。「済生救民」「克己殉公」という建学の精神と学是は、設立者である長谷川泰の「私心を捨て、全ての人々を分け隔てなく助ける」という思想から定められ、今日の日本医科大学においても引き継がれています。

済生学舎は28年間の活動の後、明治36年(1903年)に廃校を余儀なくされますが、9000名以上の医師、医学者を輩出し、当時の日本の開業医の半数以上が済生学舎出身者で占められるなど、日本の医療の土台作りへの貢献は大きく、この9000名の中には、世界的な細菌学者である野口英世、小口病の発見者である小口忠太など現代の医学界にも名前を残す偉人も含まれています。また女性が働く事すら一般的でなかった明治の時代に130名以上の女性医師も済生学舎から生まれました。

済生学舎廃校に際して、在学生への教育を継続するため、旧済生学舎の教員によって同窓医学講習会が開校され、翌年の私立日本医学校の設立へと繋がります。その後、明治43年(1910年)に私立日本医学校付属駒込医院(現在の日本医科大学付属病院)、大正13年(1924年)に日本医学専門学校付属飯田町医院(旧 日本医科大学付属第一病院、1997年に閉院)、昭和12年(1937年)に日本医科大学付属丸子病院(現在の日本医科大学武蔵小杉病院)を開院し、診療体制の整備も着々と行われました。

昭和27年(1952年)に現在の学校法人日本医科大学となり、また同年には、伝統ある日本獣医畜産大学(現在の日本獣医生命科学大学)と合併し、1法人2大学での学校運営をスタートしました。

戦後復興、高度成長期と戦後日本の歩みとともに医療体制、設備の充実に努め昭和52年(1977年)に多摩永山病院、平成6年(1994年)に千葉北総病院を開院し、従前からの千駄木、武蔵小杉を加えた付属4病院と市ヶ谷の呼吸ケアクリニック、駒込の腎クリニック、成田の成田国際空港クリニックの開院で首都圏全域をカバーした診療体制を確立するに至りました。

明治43年(1910年)に千駄木で付属病院を開院して以来、この地で医学者の育成、医学の発展に力を注ぎ続けてきました。しかしながら長い歴史の中で、大学、付属病院の関連施設は老朽化が進み、創立以来、高い評価を受け続けてきた教育、研究、診療を今後も維持し、未来へつながる医療、医療人を創っていくためには、建物、設備の再開発が必要不可欠でした。 そこで平成18年(2006年)に創立130年を迎えた節目に、医学部教育棟、大学院棟、付属病院の建て替えを柱とした学校法人日本医科大学アクションプラン21(AP21)を策定し、千駄木地区再開発事業に着手しました。

医学部教育棟と大学院棟は平成19年(2007年)に建設が完了し、平成23年(2011年)に付属病院の建設工事に着手しました。日本医科大学の「全ては患者さんのために」という理念のもと、病院機能を止めずに建設を行うため、前期、後期及び外観・駐車場工事の3期約9年の長い工事となりますが、平成26年の3月には前期工事が完了し、8月4日に新病院棟での外来がスタートしました。そして平成29年8月に後期工事が完了し、平成30年1月に全館グランドオープンしました。