済生学舎ギャラリー

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日本医科大学は、1876年に長谷川泰により創設された済生学舎を前身とし、創立140年を超えるわが国最古の私立医科大学です。本学の源流である済生学舎は、明治維新から間もない明治9年(1876年)医師の早期育成を目的として設立され、これまでに多くの医療人・医学研究者を輩出してまいりました。

本学では、橘桜会館(夏目漱石旧居跡)に済生学舎ギャラリーを開設し、小口忠太や野口英世をはじめ卒業生に関する歴史史料の一部展示を行っています。

arrow01 済生学舎の変遷(日本医科大学の歴史と沿革)
arrow01 ギャラリー開設によせて



 【ご来館にあたってのお願い】
 ■発熱や咳込み等症状のある方はご来館をお控えください。
 ■手指消毒用アルコールを用意していますのでご利用ください。
 ■展示ケース、備品、壁に触れないでください。



■主な展示内容

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■済生学舎の歴史
済生学舎の歴史や創立者である長谷川泰、建学の精神「済生救民」と多くの庶民の医療を支えた良医を育てた済生学舎の教科書および臨床技能教育について紹介しています。

■済生学舎と野口英世

野口英世は、1896年11月済生学舎に入学。在学中に京都帝国大学医科大学の初代学長となる細菌学者坪井次郎などから講義を受けました。その後、北里柴三郎が所長を務める伝染病研究所で細菌学を研究。渡米しロックフェラー医学研究所で蛇毒や梅毒スピロヘータの研究で業績を上げました。ノーベル賞候補にも挙げられましたが、アフリカで黄熱病を研究中に自らも感染し51歳の生涯を閉じました。

■スクリバ文庫
明治期のお雇い外国人医師としてドイツより招聘されたユリウス・カール・スクリバは、明治14年東京大学に着任し、主として外科学や皮膚梅毒、眼科、裁判医学を20年間担当しました。日本の外科の父と言われたスクリバの長男フリッツが日本医学専門学校(現日本医科大学)豫科の獨逸語教授であった縁で、本学にスクリバ文庫が寄贈されました。
文庫は172冊で、出版年1809年の外科解剖書をはじめ外科学一般で多岐に渡っており、ここではその貴重な医学書の一部を公開しています。

■済生学舎と女性医師
済生学舎は、日本で最初の男女共学の医学校であり、130名を超える女性医師を養成しました。ここでは、済生学舎初の女子学生となった高橋瑞子、卒業後に東京女子医科大学の前身である東京女医学校を創設した吉岡彌生を始め、地域社会に貢献した女性医師を紹介しています。



■ご利用案内

開館曜日 月曜日~金曜日(年末年始及び祝日は除く)
開館時間 10時00分~16時00分(最終入館時間15時30分)
休 館 日 土曜日、日曜日、祝日
年末年始、創立記念日
他(学内行事等により、休館日となることがあります)
観 覧 料 無料
注意事項 館内での飲食及び喫煙は禁止となります。
館内に休憩スペース等は設けておりません。
展示物にはお手を触れないようお気を付けください。
館内での撮影は禁止しております。
団体利用 20名以上の団体でのご利用については、事前にご連絡ください。
アクセス 日本医科大学橘桜会館1階
東京メトロ千代田線「千駄木駅」及び「根津駅」より徒歩8分
東京メトロ南北線「東大前駅」及び「本駒込駅」より徒歩8分
都営三田線「白山駅」より徒歩10分



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■済生学舎ギャラリー

 〒113-0023
 東京都文京区向丘2-20-7
 TEL:03-5814-6837(ダイヤルイン)
 内線:5196