日本医科大学大学案内2026
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◉1873年〜1936年◉1876年〜1928年◉1872年〜1934年◉1875年〜1945年◉1908年〜1946年◉1871年〜1959年◉1929年〜2016年◉1901年〜1992年宇良田唯野口英世須藤憲三小口忠太肥沼信次吉岡彌生坪井栄孝丸山千里HideyoNoguchiE itakaTsuboiTadaUrataNobutsuguKoenumaYayoiYoshiokaChisatoMaruyamaKenzoChutaOguchiSuto1876. 041903. 111904. 041910. 031910. 111912. 071918. 041919. 081926. 021937. 061952. 021960. 031970. 041977. 071986. 091986. 111994. 012006. 022006. 042007. 112010. 062014. 042014. 082018. 012021. 0918沿 革煌めく明治の群像 そして宇良田唯は日本人女性として初めてドイツの医学士号「ドクトル・メディツィーネ」を取得した医師であり、眼科・産婦人科を専門としました。中国・天津で25年間にわたり総合病院を運営し、貧富を問わず患者を救いました。写真提供:吉川茂文氏須藤憲三は日本の医化学の先駆者で、尿糖の定量法や脂肪定量法を確立し、糖尿病研究に貢献。旧制金沢医科大学で学長を務め、国内初の病院栄養部を設立。「栄養」という言葉の普及、医療と栄養学の融合を推進しました。肥沼信次は第二次世界大戦後のドイツで伝染病医療に尽力し、荒廃した町ヴリーツェンでチフスやコレラの治療に従事しました。物資不足の中、現地住民の命を救い続け、病に倒れ殉職。今も感謝と尊敬を集めています。坪井栄孝は呼吸器内科を専門として地域医療に尽 力し 、慈 山 会 医 学 研 究 所 を 設 立 しました 。1996年から2004年まで日本医師会会長を務め、2000年には世界医師会会長に就任。医療制度改革や在宅医療の推進に貢献しました。野口英世は、梅毒スピロヘータの脳内検出に成功し、進行麻痺が梅毒によるものであることを初めて証明しました。彼が生涯をささげた黄熱病の研究は細菌学の発展に大きく貢献し、ノーベル賞候補にも3度選ばれました。小口忠太は日本の眼科学の先駆者で、先天停止性 夜 盲( 通 称「 小口病 」)を発 見し、色 盲やトラコーマの研究でも功績を残しました。戦地での眼外傷研究をまとめた『戦役衛生史眼損傷□』を著して軍陣医学に貢献しました。吉岡彌生は、日本初の女医養成機関「東京女医学校」(後の東京女子医科大学)を創設し、女性医師の育成に尽力しました。戦後は東京女子医科大学の再建に取組み、女性の社会進出を支えた先駆者として高く評価されています。写真提供:東京女子医科大学丸山千里は皮膚科医・医学者として、皮膚結核やハンセン病の治療に尽力し、1944年に結核菌抽出物から「丸山ワクチン」を開発しました。1960年代以降はがん治療への応用を進め、がん免疫療法の先駆けとされています。◉長谷川泰により日本医科大学の前身である、西洋医学による医師養成学校「済生学舎」が設立され、野口英世らを輩出した。◉「済生学舎同窓医学講習会」の学生を対象に「医学研究会」を開講。◉「医学研究会」は、山根正次が校長となり「私立日本医学校」として設立。また、「済生学舎同窓医学講習会」の責任者・石川清忠が、駒込千駄木町に「私立東京医学校」を設立。◉私立日本医学校、私立東京医学校と合併。◉駒込千駄木町に付属駒込医院を開設(現在の付属病院)。◉「私立日本医学専門学校」となる。◉フーフェランドの著書をもとに学是を「克己殉公」と定める。◉「私立日本医学専門学校」を「日本医学専門学校」と改称。◉大学令により「日本医科大学」に昇格、予科を併設。◉付属丸子病院を開設(現在の武蔵小杉病院)。◉学制改正により新制日本医科大学となる。◉日本医科大学大学院医学研究科を設置。◉専門課程、進学課程を一本化し、6年制の一貫教育とする。◉付属多摩永山病院を開設(現在の多摩永山病院)。◉創立80周年記念として付属病院東館の改築が竣工。◉「済生学舎」開校110周年記念祭を開催。◉付属千葉北総病院を開設(現在の千葉北総病院)。◉健診医療センター完成。◉学校法人日本医科大学の創立130年記念式典を開催。◉教育棟・大学院棟完成(現在の済生学舎1号館・2号館)。◉日本医科大学大学院設置50周年記念行事を開催。◉日本医科大学新丸子校舎が武蔵境へ移転。◉付属病院前期工事完成・外来診療開始。◉付属病院グランドオープン。◉武蔵小杉病院新病院オープン。

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