日本医科大学大学案内2026
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17「済生学舎」から「日本医科大学」へ医学校」と「日本医学校」が設立され、1910年に日本医学校に統一しました。1912年には専門学校に昇格、1926年に大学設立が認可され、「日本医科大学」が誕生しました。 太平洋戦争下では校舎が空襲の被害を受けましたが、戦後に復興会を設立し、教職員や学生が全国を遊説して寄付金を募り、大学の敷地・施設は驚異的な復興を果たしました。1952年に学制改革により新制大学となりました。 創立130周年を迎えた2006年、「アクションプラン21」始動し、2021年にかけて医学部教育棟、大学院棟、新付属病院などが次々と整備され、千駄木キャンパスが生まれ変わりました。学修と人間形成を重視した施設、最新のICT環境も整えています。2026年には創立150周年を迎え、これからも新しい時代の医学・医療を創出していきます。 日本医科大学の起源は、1876年(明治9年)に創立された「済生学舎」に遡ります。創立者の長谷川泰は明治政府の近代医学教育に関わっていましたが、地域で開業する西洋医が不足していたことから、その早期養成を目指して私立の医学校を設立しました。 最初の校舎は本郷元町にありましたが、後に湯島へ移転し、教育内容や設備を拡充しました。学費が比較的安く、地方出身者や苦学生も多く入学でき、女子学生にも門戸が開かれ、1887年には学生数が650名に達しました。済生学舎は医学界をリードする逸材とともに、全国に7,000人以上の開業医を輩出しましたが、1903年、専門学校令公布を機に長谷川泰は廃校を決意しました。 廃校後も講師たちと学生たちの努力により、校舎を変えて授業は続けられました。ここから「東京創立者 長谷川泰済生学舎初期の教科書。・長谷川泰が洋書を翻訳・編纂したものも多い。ドイツ語・英語の原書で学ぶ「原書生」と、翻訳書で学ぶ「訳書生」に分かれた授業風景(1942年卒業記念アルバム)済生学舎門前のスケッチ。1896年卒業の澤弌による東京医学校の千駄木校舎(1907年)。現在の日本医科大学の校地である日本医学専門学校での外科学の臨床講義(1924年卒業記念アルバム)since 1876医師養成学校「済生学舎」より続く最長の歴史を持つ私立医学教育機関創立150周年HISTORY

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