新テクノロジー時代の医学部 教育本学では前期1次試験に、東京都以外の試験会場として福岡会場(福岡県福岡市)を設けています。前期試験に大学入学共通テスト(国語)を併用した入試区分。出願には、英語民間試験の成績が一定以上あることが出願要件になります。14肥沼信次 Nobutsugu Koenuma 東南アジアやアフリカで、住み込みでボランティアをしながら、自分の研究領域である乳酸菌やビフィズス菌等の“腸内微生物“を切り口に出張授業を行いました。 現地の小中学校で「僕たちは腸内に1.5〜2kgの細菌を飼っている。彼らが喜ぶ食事をしよう!」というアプローチで、消化吸収の仕組み・食育を楽しく伝えました。単なる「バランスの良い食事をとろう」という堅苦しい正論ではなかなか届きませんが、興味を引き出しながら伝える大切さを実感しました。現地での活動はトラブルも多いですが、それも含めて本当に楽しいです。これからも様々な経験と学びを重ね、国際協力や災害医療に関わりたいと思います。テクノロジーが発展する中で、これまで以上に重みを持つのが愛と倫理観をもった医師の人としての資質です。野口英世、肥沼信次といった先輩たちの伝統に続く、豊かな人間性を育む交流がここから始まります。 日本医科大学には学是「克己殉公」の志を胸に、世界の医療に貢献してきた先輩たちの伝統があります。黄熱病や梅毒の研究で知られる野口英世は、日本医科大学の前身である済生学舎の卒業生です。アメリカに渡りロックフェラー医学研究所の研究員となりました。黄熱病の研究のためにエクアドル、メキシコなど多くの国を訪れましたが、自らが黄熱病の研究中に感染し、1928年に英領ゴールド・コースト(現在のガーナ共和国)で亡くなりました。 肥沼信次は日本医科大学を卒業後、1937年に日本政府の国費留学生としてドイツに渡り、ベルリン大学で東洋人として初の教授資格を取得しました。第二次世界大戦後、ドイツ占領ソ連軍が創設した隣町のヴリーツェンの伝染病医療センター初代所長を命じられ、ドイツ人医師不在となった同地でチフス・コレラなどの疾病対策に力を尽くし、自身もチフスに罹患して、1946年3月8日、37歳で死去しました。ふたりの献身的な研究と貢献は、今日でも多くの人々に感銘を与えています。野口英世 Hideyo Noguchi 豊かな人間性は、多様な個性を持つ人との交流から生まれます。本学では独自試験に加え、大学入学共通テスト(国語)を併用した入試区分や地域枠選抜に加え、学校推薦型選抜(指定校)と多様な選抜で幅広いバックグラウンドを持つ学生を受け入れています。本学での出会いは生涯にわたる財産となるでしょう。国際協力に参加する学生医学部 医学科3年 山崎 海学校推薦型選抜では、早稲田大学高等学院、早稲田大学本庄高等学院、早稲田実業学校高等部の3校を指定校とした選抜を実施しています。東南アジアやアフリカで小中学生に啓発活動豊かな人間性と国際性で世界に目を向けて行動する多様な同級生との出会いが人間性を深めるsceneCurriculum Highlights of NIPPON MEDICAL SCHOOLⅠ.グローバル特別選抜Ⅱ.早稲田大学付属・系属高校推薦入試Ⅲ.地方会場(福岡市)の設置受験時代の忘れ物をとりにいく05
元のページ ../index.html#15