1991年に日本医科大学を卒業して、東京大学医学部小児科に入局しました。その後、小児がんの臨床と研究の研鑽を積んで、現在は京都大学医学部小児科に在職しています。小児がんのなかでも難治性腫瘍の代表である神経芽腫や白血病の治療標的の解析に取り組んでいます。 日本医科大学は、東京大学や京都大学のような総合大学ではありませんが、単科大学であるがゆえに教員と学生の一体感や団結力が強く、心温まる指導が受けられる点が利点だと思います。そして、アットホームな雰囲気のなか、充実したキャンパスライフを送れることは、臨床医にとっても研究者としても重要なバランス感覚を養う上でメリットは大きいと思います。本学は伝統を重んじつつもリベラルで、おすすめできる学びの場です。私自身、学生時代に素晴らしい仲間に恵まれて、勉強し成長できたことが今の自分につながっていると確信しております。そして、日本医科大学で学べたことを誇りに思っています。 私は、現在愛媛大学で眼科を専門としていますが、1986年日本医大卒業時には全く想像もしていませんでした。 学生時代は6年間サッカーに明け暮れ、志望科を選ぶにあたっても部活の先輩を尋ね歩き、「お前は内科向きではないので外科だろう」と言われて当時の第2外科(庄司教授、飯田橋第一病院)に入局しました。外科認定医(当時)取得後は第2病理学(浅野教授)で大腸癌の研究で学位を取得し、浅野教授のご推薦で米国シンシナティ大学に留学しました。留学は3年半に及びましたが、研究内容は外科でも、癌でもなく角膜の遺伝子研究に明け暮れることとなりました。帰国するにあたって、外科か病理に戻るか悩みましたが、他学の眼科に進んでいた大学時代の同級生の勧めもあって、愛媛大学の眼科に入局しました。 眼科医になるまで長い回り道をしましたが、日本医大時代の同級生、部活の仲間、外科、病理時代の恩師、同僚から得た素晴らしい経験が、その後の大きな励みとなりました。1991年卒業。2003年東京大学 医学部附属病院 助手、2004年東京大学 大学院・医学系研究科 助手、2005年東京大学 医学部付属病院 講師、2015年東京大学 小児科准教授、2018年より現職。2024年より日本小児科学会会長に就任。1986年卒業。1986年日本医科大学第2外科入局、1994年シンシナティ大学眼科客員講師、1998年愛媛大学眼科入局、2005年愛媛大学視機能外科学講師、2008年愛媛大学視機能再生学准教授、2016年愛媛大学眼科学教授、現在に至る。41活躍する卒業生伝統を重んじつつもアットホームでリベラルな学びの場です滝田 順子京都大学 大学院 医学研究科発達小児学教授大学時代の同級生、部活の仲間、恩師、同僚から得た素晴らしい経験が大きな励み白石 敦 愛媛大学医学部眼科学教室 教授MESSAGEOB/OG Voice
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