1951年卒業。インターン研修を終え、1952年に渡米し、ローマリンダ大学付属病院を経て1961年ロサンゼルス地区検視局に入局。1982年から南カリフォルニア大学で法医病理学と死因捜査の教■を執り、1999年から南カリフォルニア大学法病理学名誉教授。 私が理事長を務める恵寿総合病院は能登半島にあります。周囲の高齢化率は40%、能登半島の北部では50%にもなります。東京や大阪の30年先をいく超高齢化社会といえるでしょう。この環境下で患者さんが求めるものは何か模索しながら、急性期医療から介護・福祉まで途切れることのないサービスを提供する「けいじゅヘルスケアシステム」を構築しました。 令和6年1月1日には、そのような地域に巨大地震、能登半島地震が発災、当院も大きく被災しました。周囲の医療機関が機能不全に陥る中、私たちはこれまで準備してきたBCM/BCP(事業継続マネジメント/プラン)、医療DXの仕組みと生き残った資源を最大限活用するという信念の下、『災害でも医療を止めない』を文字通り実践いたしました。震災翌日の1月2日には、本学救急医学教室の横堀教授のチームが困難な状況の中、いち早く支援に駆けつけ、私たちの不安を払拭していただきました。 地域医療を支えるために技術や知識は大切ですが、その上位概念としてスタッフをコーディネートする力が必要ですし、その力は非常時こそ発揮されます。それには人間性の涵養が欠かせません。勉強だけでなく、クラブ活動などを通して、多様な考え方を持つ仲間をつくってください。それがあなたに深みを持たせ、将来のネットワーク構築にも必ずつながるに違いありません。1980年卒業。1986年金沢大学大学院医学専攻科卒(医学博士)。現在、厚生労働省において社会保障審議会医療部会委員を務める。 法病理学は解剖や検視による死因の究明を通じて、事故死や被虐待児症候群、DVなどについて行政を動かして、予防に努めることができる専門分野です。しかし、アメリカでも死の話題はタブーとされていましたから、私たちの仕事について医師の間ですらよく知られていませんでした。そうした状況を改善するために、私は努力を重ねてきました。1970年代には、私をモデルにしたドラマ「ドクター刑事クインシー」が制作され、人気番組となりました。その後いろいろなCSI(科学捜査班)のドラマが放送され、検視局の志望者が列をなすまでになったのは、法医学の認知活動を続けてきた成果だと考えています。 今振り返ればわれわれの学是「克己殉公」が、私の道を定めたように思います。「世界の人のために貢献したい」と若い時期に海外に出たことで逆境に鍛えられ視野を広げることができました。現在教■を執る南カリフォルニア大学では、母校からの研修生が医療チームの一員として臨床に携わることができます。後輩の皆さんも自信を持って、世界のために働ける医師になってください。40米医事法学会の理事会員 元世界医事法学会会長 全米監察医協会国際関係委員会委員長米科学捜査アカデミー国際関係委員 日本医科大学名誉博士社会医療法人財団董仙会 恵寿総合病院 理事長全日本病院協会副会長 日本病院会場常任理事トーマス・T・野口世界の人のために事を成し、後輩への支援を惜しまぬそれが日本医科大学に受け継がれた精神です超高齢化社会の能登半島から、国に提言する医療と介護・福祉のグッドデザイン神野 正博GRADUATES■omas T. N■uchiMasahiro Kanno
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