1979年卒業。ベルギー国立ゲント大学研究員、日本医科大学助手を経て、1985年読売新聞社入社。医療、福祉、教育と幅広い分野で記事を執筆し、同社編集委員や編集局次長兼医療部長などを歴任。2022年より現職。社外の公職として、国立研究開発法人国立がん研究センター顧問、国立社会保障・人口問題研究所評議員、「新型コロナウイルス感染対策分科会」委員などを務める。 私の現職は、ジョンズ・ホプキンス(Johns Hopkins)大学外科教授です。前職はコロンビア大学外科米国コロンビア大学外科・内科教授(終身教授)で、2022年にジョンズ・ホプキンス大学から先端移植医療研究分野のProjectLeaderとして招聘を受け移籍をしました。 米国では専門性の高い分野での競争が激しく、企業で見られるような移籍は医系領域でも珍しいことではありません。私は本学を卒業後、30代半ばにハーバード大学に渡りました。これから医学部に入学を目指す皆さんは、日本医科大学卒業後 医師としてあえて報道の仕事を選んだのは、社会に働きかけたかったからです。日本医科大学を卒業すると、欧州で学びながら世界保健機関の国際公務員を目指しました。そんななかで、「移住に伴う精神保健」というテーマを見つけて帰国、母校の精神科で修業しました。折から日本に漂着したインドシナ難民のボートピープルや、政府の「留学生受け入れ10万人計画」で渡来する外国人の調査・研究など、社会的な仕事にかかわるうちに転機が訪れ、30歳で読売新聞社へ。記者として、国内外の社会から文化、外交に至るまで幅広いテーマの取材に駆け回りました。医学・医療の高度化と社会の急速な情報化を背景に、医療・健康の正確な情報も求められるようになりました。 各地の医療を取材するなかで驚いたのは、文字通り「克己殉公」の精神で地域医療を守る同窓の先生方の姿が全国至るところにあったことです。母校の伝統の重みを痛感しました。日本は今、未曽有の超少子高齢社会から人口急減社会へ、予測不能の時代を迎えています。これから医学を学ぶ方々には専門性を深めつつ、広い視野を持ってほしい。学びは必ずや実を結び人生を豊かなものにしてくれるでしょう。に就く職場を国内だけに絞るのでなく、自分の求めるものが海外の施設にあれば、海外で職場を得ることも可能です。重要な点は、自分が何を求めるのか? どのようなトレーニングをしたらいいのか? という点を常に自問自答し実行することです。 現在の本学の6年間の新規カリキュラムでは、海外も含めた研修を可能とする編成になっています。このカリキュラムでは、私より10年近く早い時期に準備をすることが可能です。決して自分を見切らず、本学卒業生となる皆さんの可能性に天井はありません。ぜひ本学の門をたたいてください。1987年日本医科大学卒業。日本医科大学泌尿器科で臨床研修を行い泌尿器科専門医を取得。1998年米国ハーバード大学マサチューセッツ総合病院外科Instructor,2000年ハーバード大学AssistantProfessor, 2004年AssociateProfessor、2015年コロンビア大学外科・内科(JointAppoint-ment)教授(終身教授)を経て、2022年ジョンス・ホプキンス大学外科教授・Director,X-enotransplantation Program。39Professor, Department of Surgery, Johns Hopkins University. Director, XenotransplantationProgram, Department of Surgery/Transplantation, Johns Hopkins Medicine読売新聞東京本社 常務取締役調査研究担当医療の最先端を担う先輩たち山田 和彦南 砂皆さんの可能性に制限はない海外も視野に求めるものを探してほしいKazuhiko Yamada広い視野を持ちながら目の前の課題にベストを尽くしてほしいMasago Minami MESSAGESenior Voice
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