Nippon Medical School Brochure 2025
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Curriculum Highlights of NIPPON MEDICAL SCHOOL 電車の乗車中に具合の悪いお客様がいるとアナウンスを聞き、駆けつけたところ心肺停止状態でした。周囲の人と協力しAEDを用いた救命処置を行いました。心拍は無事再開し、気道確保やバイタルの確認などを行い救急隊に引き継ぎました。その後、患者さんは無事社会復帰されたそうです。 後日、救命の連鎖の良い事例として、東京消防庁 消防総監より感謝状を授与されました。当時は不安を感じながらも、何か貢献できることはないかと考え、現場に向かいました。救命センターでの臨床実習はもちろんですが、日本医科大学で学んできた克己殉公の精神は、足を一歩踏みだす大きな勇気と使命感を与えてくれました。前期試験に大学入学共通テスト(国語)を併用した入試区分。出願には、英語民間試験の成績が一定以上あることが出願要件になります。本学では前期1次試験に、東京都以外の試験会場として福岡会場(福岡県福岡市)を設けています。14 日本医科大学には学是「克己殉公」の志を胸に、世界の医療に貢献してきた先輩たちの伝統があります。黄熱病や梅毒の研究で知られる野口英世は、日本医科大学の前身である済生学舎の卒業生です。アメリカに渡りロックフェラー医学研究所の研究員となりました。黄熱病の研究のためにエクアドル、メキシコなど多くの国を訪れましたが、自らが黄熱病の研究中に感染し、1928年に英領ゴールド・コースト(現在のガーナ共和国)で亡くなりました。 肥沼信次は日本医科大学を卒業後、1937年に日本政府の国費留学生としてドイツに渡り、ベルリン大学で東洋人として初の教授資格を取得しました。第二次世界大戦後、ドイツ占領ソ連軍が創設した隣町のヴリーツェンの伝染病医療センター初代所長を命じられ、ドイツ人医師不在となった同地でチフス・コレラなどの疾病対策に力を尽くし、自身もチフスに罹患して、1946年3月8日、37歳で死去しました。ふたりの献身的な研究と貢献は、今日でも多くの人々に感銘を与えています。野口英世 Hideyo Noguchi 豊かな人間性は、多様な個性を持つ人との交流から生まれます。本学では独自試験に加え、大学入学共通テスト(国語)を併用した入試区分や地域枠選抜に加え、学校推薦型選抜(指定校)と多様な選抜で幅広いバックグラウンドを持つ学生を受け入れています。本学での出会いは生涯にわたる財産となるでしょう。テクノロジーが発展する中で、これまで以上に重みを持つのが愛と倫理観をもった医師の人としての資質です。野口英世、肥沼信次といった先輩たちの伝統に続く、豊かな人間性を育む交流がここから始まります。肥沼信次 Nobutsugu Koenumaグローバル特別選抜scene早稲田大学付属・系属高校推薦入試人命救助で表彰された学生学校推薦型選抜では、早稲田大学高等学院、早稲田大学本庄高等学院、早稲田実業学校高等部の3校を指定校とした選抜を実施しています。地方会場(福岡市)の設置豊かな人間性と国際性で世界に目を向けて行動する多様な同級生との出会いが人間性を深めるⅠ.Ⅱ.Ⅲ.新テクノロジー時代の医学部教育電車で心肺停止の方に気道確保やバイタル確認を行う医学部 医学科6年峯宇惇嘉受験時代の忘れ物をとりにいく

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